座席を一個とばして座るのは常識人。となりに座ったらヤバイ人。

時々不思議に思うことがある。電車で等間隔で綺麗に座席を一個飛ばして座っているところを。

またガラガラに空いているのにわざわざ隣に座ってくる人も時々だが見る。第三者からみて、いわゆる、そう、まぎれもないヤバイ人だ。

 

人はこういう状況下に嫌悪感を抱き、たとえ顔面が千葉雄大でもヤバイ人だと思ってしまう。

 

聞いたこともあるだろう、これを「パーソナルスペース」という。パーソナルスペースとは実際には見えないが、各それぞれ大きさや形が違う心理的なスペースのことである。これが電車では踏み込まれることで、嫌悪感や不快な気持ちとなって表れるのだ。つまり電車ではほとんどは赤の他人であるため、狭いパーソナルスペースを侵害されるのを極端に嫌う傾向にある。

 

一つ私の例を挙げようと思う。

男子トイレで用を済ませようと便器の前に立つ。そこのトイレは混んでいて両隣の便器にも人がいる。そうここまでは何ともない。嫌悪感など微塵もないが、混んでいるが故に真後ろに人がいる。その状況こそなによりも嫌悪感がある。

 

 

ゾッワーーーーー

 

 

とする。毎回だ。

 

これを友達や周りの人に聞いてもいまいち共感してもらえない。

文献などみると各個人によってパーソナルスペースは異なり、特定の状況下に置いて形も変わるとある。

 

そう、つまり私は排尿しているときに、真後ろへパーソナルスペースが伸びているという仮説が立った。

でも目で見えていないのに?感覚?もしくは、ハンター×2での「円」が自分にも出ている?スタンド?チャクラ?見聞色?

 

ばかいえ。そんなわけあるか。

 

そんなわけで実践だ。

田舎ではそうそう混んでいるトイレなど見つけるのは至難だろうが、私は神奈川に住んでいるため、横浜駅のトイレなど休日行けば容易に見つかる。

 

行ってみる。。

 

やっぱり混んでいる、自分も列に並んでみる。このために

スタバのグランデのコーヒーを注文したから、膀胱は今にも張り裂けそうでパンパンと殴られて暴行されている感覚に陥っている。。。

 

ついに自分の番がきた。ズボンのチャックに手をかける。

 

 

下腹部の力を緩めるだけでそれはもうきれいな放物線を描き、解き放たれる。

 

 

ゾッワーーーーー

 

やっぱりか。やっぱり真後ろに伸びている。しかしこれは本当なのか気配なのかオーラなのか真相を突き詰める必要がある。そう、振り返ってみよう、人がいるかどうか。自分の後ろに人がいることはすでに行列に並んでいるときにわかっている。しかしその人は大きい方にいったのかもしれない。それほどまでに混んでいるからだ。

 

 

クルッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生は必ずしも答えが得られるとは限らない。ぜひ共感できるひとは試してほしい。そして結果を教えてほしい。先入観は結果へのプロセスを阻害する一因だからね。

 

 

 

便器を見ながら用を足すのは常識人。振り返ったらヤバイ人。